鹿児島県の由来や、歩んできた歴史をご紹介します

こんにちは ゲストさん 会員登録 | ログイン

歴史探訪

鹿児島県歴史探訪
鹿児島県の概要
鹿児島県は、九州本土(薩摩・大隅地方)と薩南諸島(種子島・屋久島地方と奄美地方)にわかれており、熊本県・宮崎県・沖縄県と接しています。南北600キロメートルに及ぶ温暖で広大な県土の中に、世界自然遺産に登録されている屋久島をはじめ特色ある島々、桜島等の火山、緑あふれる森林、豊富な温泉などがあり、多彩で豊かな自然と個性ある歴史・文化などの観光資源に恵まれています。

鹿児島のあゆみ
鹿児島県は、古代には熊襲の地、隼人の地とよばれ、宮崎県地方とあわせて日向と総称されていました。鹿児島の最も古い遺跡には、種子島で3万年を越える旧石器時代の生活跡や落とし穴があります。生活跡は鹿児島全土に見られますが、平成9年(1997)に霧島市の上野原で今から約9500年前の竪穴住居群の跡が発見され、この頃には既に鹿児島 に人が村を形成して定住していたことが分かりました。

12世紀末になると、島津荘下司職に補任された島津忠久を祖とする島津氏が薩摩国・大隅国・日向国守護を独占するようになりました。島津氏はこの頃から徐々に勢力を伸ばし、16世紀後半にはほぼ今の鹿児島県にあたる地域を支配するようになりました。日本の南の玄関口にあるため、古くから中国、韓国、琉球をはじめとするアジア太平洋地域の国々との交易が盛んだった鹿児島県ですが、この頃から西洋の文化も入ってきました。天文12年(1543)に中国船に乗ったポルトガル人が種子島に漂着し、日本に初めて鉄砲をもたらし、天文18年(1549)には、イエズス会の宣教師であるフランシスコ・ザビエルが鹿児島に渡来し、日本にキリスト教を紹介しました。

日本の鎖国体制が崩壊する19世紀後半には、鹿児島県は藩主の指導で積極的に西洋文化を取り入れるのに情熱を注ぎました。積極的西洋文化を取り入れることで当時の日本をリードする大きな力を持つようになり、やがて古い政府を倒し、新しい政府を樹立する中心勢力となりました。

明治4年(1871)廃藩置県により薩摩、大隅、日向の3ヶ国のうち薩摩藩の範囲で鹿児島県が成立しました。合併、編入を繰り返し、昭和55年(1980)には、人口50万人を突破し、平成8年(1996)には中核都市に指定され、南九州の中核都市として今もなお発展を続けています。


鹿児島の名前の由来
野生の鹿の子が多く生息していたからという説、火山を意味するカグという言葉からきたという説、他にも多くの水夫(かこ)が住んでいたからという説など諸説あります。


鹿児島の歴史についてもっと詳しく知りたい人はこちら↓
鹿児島県歴史資料センター黎明館
住所: 〒892-0853
鹿児島県鹿児島市城山町7-2 [地図を見る]
電話番号: 099-222-5100
開館時間: 午前9時〜午後5時(入館は午後4時30分まで)
休館日: 月曜日(国民の祝日の時は翌日)
毎月25日(土・日曜日の時は開館)
年末年始12月31日〜1月2日)
入館料: 一般300円 高校・大学生190円
小学・中学生120円
一般230円(団体) 高校・大学生120円(団体)
小学・中学生60円(団体)







特集

全国キャンプ場徹底ガイド 「キャンプへ行こう!」

今年の夏はキャンプに行こう!キャンプ情報満載!

改行

ドラマ・映画ロケ地ガイド

朝の連続テレビ小説まんてん

場所:種子島宇宙センター
竹崎付近からは、海の向こう側に射点の全景を見渡すことが出来る

改行